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[ 1160] わいせつ物頒布罪 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%84%E3%81%9B%E3%81%A4%E7%89%A9%E9%A0%92%E5%B8%83%E7%BD%AA
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この項目は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。また最新の法令改正を反映していない場合があります。ご自身が現実に遭遇した事件については法律関連の専門家にご相談ください。免責事項もお読みください。 わいせつ物頒布罪(わいせつぶつはんぷざい)は、刑法175条で規定される犯罪。わいせつ物陳列罪とも呼称される。 刑法175条は「わいせつな文書、図画、その他の物を頒布し、販売し、又は公然と陳列した者は、2年以下の懲役又は250万円以下の罰金若しくは科料に処する。販売の目的でこれらを所持した者も、同様とする」と規定する。 本条は主に戦後の文芸裁判において社会的に大きく問題とされた。「徒に性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する」が、サンデー娯楽事件、チャタレー事件、サド・悪徳の栄え事件、黒い雪事件、四畳半襖の下張事件、愛のコリーダ事件など。最近の事案では、漫画のわいせつ性が争点となった松文館事件が挙げられる。これらの事件では、特にわいせつ性と芸術性の関係が問われた。すなわち、刑法175条は上位法である憲法が保障する信教の自由に表現の自由や学問の自由に抵触するのではないかという点が争われたのである。本罪は「被害者なき犯罪」の一類型であり、ポルノの自由化を提唱する論者も少なくない。 近年では、インターネット普及に伴い、日本国民が海外のサーバに裏ビデオ配信サイトというわいせつ「物」なホームページを開設する例もあるが、わいせつ物のデータ更新等を海外だけで行えば処罰することはできない。 それは本条が国外犯規定の適用対象になっていないからであるが、わいせつ物頒布罪が健全な風俗を害するという公益に対する罪であることを強調すれば、行為者が日本国民であるか否かにかかわらず、国外で行われた行為であってもおよそ国内の社会秩序に相当程度の有害な効果を与えるものであれば、なお国内犯として処罰可能であるとの考えもありうる。 なお、ホームページが日本語で運用されているなど、明らかに日本のユーザーのみを対象としている場合で、国内からデータが送受信されるなどしたときには、犯罪の一部が国内で行われたとして、我が国のわいせつ物頒布罪が成立するとした例がある。 わいせつ物頒布罪という「わいせつ物の定義」については国家の宗教倫理によって判断基準と規制基準が異なる。たとえばイスラム教信仰国家では日本より厳しくわいせつ物を法規制で取締りしているが、「アメリカ合衆国」はキリスト教信仰国家なので、成人限定で「合法」とされている。日本ではわいせつ「物(裏ビデオ)」が犯罪であっても、他国の領域内ですべて完結した営利目的の動画配信サイトのデータ更新等のわいせつ物頒布を、日本国内犯として「わいせつ物頒布罪の適用」を主張することは、アメリカ合衆国の刑事管轄権を不当に侵害するので、野放しになっている。 今後、インターネットという国境を越えた情報流入に対して日本社会の根幹倫理はどうすべきか、わいせつ「物」の意義が問われる事件も多数注目されている。 本条をめぐる主な争点は、規範的構成要件要素(裁判官の評価を必要とする要素)である「わいせつ」の定義である。判例は大審院時代から一貫して「わいせつ三要件」を採用している。すなわち三要件とは、(1)徒に性欲を刺激・興奮させること、(2)普通人の正常な性的羞恥心を害すること、(3)善良な性的道義観念に反すること、というものである。しかし、この定義に宗教的な側面を保持しており医学的・学術的な根拠が曖昧であり、法的安定性に乏しく、罪刑法定主義や日本国憲法の精神的自由(信教の自由・言論の自由)に反すると思われているが、日本社会の根幹倫理であるため様々な観点から批判や議論が加えられている。 わいせつ性の判断基準は「社会通念」である。判例によれば、社会通念とは、(1)個人意識の集合を超えた集団意識である、(2)その判断は事実的なものではなく法的なものであり、裁判官に委ねられている、(3)流動性や相対性に関わらず性行為非公然原則が核として存在する、と特徴づけられる。規範的概念の意味内容を具体化するため、法の外側にある価値体系に判断を委ねること自体はやむを得ないが、国民の多数派が信仰する宗教理念が前面に出される可能性がある社会通念という要素を法律解釈に出すことは控えるべきである旨の批判もなされている。 わいせつ性と芸術性は次元の異なる話であるので両者は両立する。芸術作品であってもわいせつ物として処罰の対象になることがありうる(両立説)。 芸術性はわいせつ性を解消させるので両者は両立しない。高度の芸術作品がわいせつ物として処罰の対象となることはありえない(非両立説)。 比較衡量論は、わいせつ性と芸術性を比較し、前者が勝れば対象物はわいせつ性を有し、後者が勝ればわいせつ性は解消されるとする判断方法である。実際の当罰性判断にあたっては合理的な方法であるが、 ハード・コア・ポルノ・テストは、いわゆる端的な春画・春本説と呼ばれるものと同義である。この見解の特徴は、ハード・コア・ポルノにつき、社会的価値のないものは憲法の保障外であるとし、抑圧の対象とすることも差し支えないと考える点、さらに、いわゆる娯楽的価値については何ら配慮を払わない点にある。この見解の長所として、芸術性・科学性との関係については配慮を払う必要がなくなるという点が挙げられる。しかし、ハード・コア・ポルノが社会的に全く無価値かは疑問であり、社会的有害性の証明がないと批判が加えられている。 また、1983年10月27日のいわゆる「ポルノカラー写真誌事件」最高裁判決において、団藤裁判官が補足意見として「広い意味での『表現』には相違ないが、『表現の自由』をいう場合の特殊な意義における『表現』には該当しない」という見解を示している。しかし、憲法21条1項で「表現の自由」という場合の『表現』をそのようにとらえるべきかどうかについては、多くの議論があるところである。 相対的わいせつ文書理論主観説は、わいせつと思しき対象物の作者や出版社などの、創作ないし出版の意図などを構成要件要素として加味するものである。主観説に対しては、 ある物がわいせつであるか否かという問題と、それがどのような意図で作成されたかという経緯は次元の異なる話である旨の批判 がなされている。しかし、刑法が対象としているのは単なるわいせつという字句ではなく、人間の作成するわいせつ物を人間が頒布・販売することなのであり、人間を精神的なものから切り離し、客観的な宗教側面だけで理解することは不可能である旨の再反論がなされている。 相対的わいせつ文書理論客観説は、頒布・販売の態様、広くは宣伝・広告の方法などを考慮することにより、わいせつ概念に絞りをかけることをそのねらいとするものである。客観説に対しては、 |
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